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「北嶺のひと 比叡山・千日回峰行者 内海俊照」はやしたかし/村上 護 [本]

「北嶺のひと 比叡山・千日回峰行者 内海俊照」

著者:はやしたかし/村上 護
発行:佼成出版社


千日回峰行とは、7年間、計1千日にわたって比叡山の峰々を巡って礼拝する天台宗の修行である。

百日回峰行を満行した行者のうちから、先達たちの厳しい「谷会議」を経て、この荒行に入ることが許される。
「行不退」と言い、ひとたび行に入ったなら、いかなる理由があろうと途中でやめることは許されず、回峰中は首つり用の死出紐と自害用の短剣を持って挑むという、まさに決死の行だ。

比叡山無動寺谷宝珠院の住職であった叡南(内海)俊照師は、昭和49年から千日回峰行に出峰し、昭和54年、大行を果たして「大行満大阿闍梨」となった。
本書は、回峰の二百日から満行の日までの写真と師への聞き書きで構成されている。

修行は、素足に草鞋で、山上山下の堂社や霊跡を誦経念呪しながら礼拝して回る。
約30キロを6時間ぐらいかけて歩くことを、1年目から3年目までは毎年100日間、4年目と5年目は毎年200日間行う。
一日でも休むとその修行は認められないのだそうだ。

700日を満行したところで、9日間不動堂に籠り、断食・断水・不眠・不臥で
一日10万遍の不動真言を唱えつづける「堂入り」に入る。

6年目は、それまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わった、1日約60キロの行程を100日歩く。
「赤山苦行」の100日間と言われる。
7年目は、「京都大廻り」と呼ばれる、比叡山山中だけでなく赤山禅院から京都市内を巡礼する、84キロにもおよぶ行程が前半の100日間。
最後の100日間は、最初の3年と同じく比叡山山中の約30キロを巡り、満行となる。

命がけの荒行によって「お不動さま」不動明王と一体化し、無我の境地に達した姿は何とも清々しく、美しいものであった。

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